言葉では伝わらないことばかりで

映画「恋は雨上がりのように」を観た。元々原作であるコミックを1巻が出た当初から愛読していたけれど、どうも間延び感が否めず、9巻で買うのをやめたところ、いつの間にか映画化が決まっていた。なんとなく合点がいく。

 

「あの人気漫画がついに実写映画化!」なのにコケることが多いのは、そもそも色があって絵があって世界観が確立されているものをリアリティに無理矢理落とし込もうとするからだと思う。お目目パッチリで描かれている主人公を重い一重の人が演じたら、そりゃあ違うじゃん?

そんな違和感からスタートして、ときには完結していなかったり、何十巻にもわたるストーリーをひとつに紡いだ違和感が加われば、星ひとつだって無理はない。

 

それに比べて「あの人気小説がついに実写映画化!」のほうが幾分コケずに済み、ときに高く評価されるのは、文字だけで構成されるものをリアリティに自然と落とし込むからなんだろうなあ、と。

小説は読み手に人物像や音や情景を想像させるものだから、それらがドンと目の前に現れたとき、喜びを感じるんだと思う。

 

そういう邦画は映画通からしたら「スピード感がない」「迫力がない」云々言われるのかもしれないが、わたしはそういう機微を拾い取って表現してくれる邦画が好きですよ。

ちなみに河瀬直美監督の「光」、西川美和監督の「永い言い訳」が好きで好きで仕方ない。

 

ドカンドカンと派手なのはとてもいい。小説もドラマも映画も音楽も絵も、気持ちがいいものだ。機微を拾い上げる邦画が好き、と言っておきながらエクスペンダブルズ4の公開を今か今かと期待している自分もいる。

 

ただ、当たり前すぎて当たり前なのかすら分からなくなってしまう日常を描くことが、実はいちばん難しいんじゃないか。

派手なのが簡単だというわけではない。ただ、ありふれたことで人を惹きつけるというのは、思っているよりもずっと難しい。

 

ツイッターで色白で大きなおっぱいを載せたらフォロワーは増えても、白くて炊きたてほかほかの新米を載せてもフォロワーは増えない。

 

欲しいのは、いつだって非日常。

 

ところで、「恋は雨上がりのように」の店長役は堤真一がよかったなあ。小松菜奈は最高に可愛くて、部屋着が最高にえっちでした。