卑しいのは、どっち?

定期的にツイートしているけれど、「相手の好意を素直に享受できる」というのは、最早それだけで才能だと思う。この言葉をパッと見て共感してくれる人と疑問に思う人がいると思うけれど、前者とはいい友達になれる。


そもそも、相手の好意を素直に享受できる人はそのことを特別に思っていない。だから、自覚もない。それでいい。捻くれているわたしは、そんな人たちが心底羨ましい。こころが荒んでいるときは、心底憎たらしい。「もう少し有り難いと思ってもいいんじゃないか?」とすら思う。


自分が相手からの好意を素直に享受できない分、自分が誰かに向ける好意を神格化してほしいなんて、ワガママ。でも、そうでもしないと自分のこころの捻くれがきれいな形に戻ってくれないんだもん、ねぇ。


自分の欠損を誰かや何かで補おうなんて、烏滸がましい。


給料日の花金に書くような内容じゃなかったなあ、と思いつつ、窓から流れ入る涼しい風を感じています。こんな落ち着いた気候と落ち着いた精神が、しばらくは続きますように。