やってみないと分からないことばかりだから

何度でも自分は自分をはじめられる、と言ったのはわたしです。

http://nanashi-no-co.hatenablog.com/entry/2020/01/17/222953

そうだと思っていたし、これまでだってそうしてきた。けれどいま、宛のない再スタートを切るのは果てしなく怖いと感じている。

心地よい環境にいるのは楽だ。自分自身がそれで問題なく、他人にも迷惑をかけていないならそれでいい。

でも、本当にそれで後悔はない?

良いことも悪いことも経験しなきゃ分からない。そう思って色んな経験をしてきたはずなのに、失敗も成功もしたのに。今更臆病になるなんてダサいし、らしくないなあ、って心の中のリトルななしは言うてます。

正しい選択をするんじゃなくて、自分の選択を正しいものにする。良くするのも悪くするのも全部自分だよね。もう大人なんだから、人も場所も決めるのは自分。

 

 

わたしからわたしへのポエム兼エールでした。ここ数週間めちゃめちゃ弱気になっていて、人にきちんと悩みと弱音を吐いて、それを真剣に考えてくれる人たちがいて毎回泣きそうになっています。私はひとりだと思っていたけど全然そんなことなかったんだって気づかせてくれたので、こういう経験もいつか愛おしくなればいいな。そうしてみせるよ。

生まれてきて26年だけどその中でいくつか人生のターニングポイントとなるような決断をしていて、どれも100%悔いがなかったかと言われるとそうでもない。もっとうまくやれたなあと思うことも多々ある。でも間違いなく言えるのは「何も変えないよりずっとマシだった」。いまわりとそういう局面にぶち当たってて、ふと立ち返った今日この頃。

迷い切ります。あとちょっと考えて考えて考えて、結果としてうまくいかなかったとしても、自分にとって良い選択ができるように。やってみないと分からないことばかりだから。どんなに辛くても悲しくても悔しくても恨めしくても、やるしかないよ。

27歳になる前には

祖父が認知症になった。

まだ初期段階だというが、辻褄の合わない言動が多くなり、記憶もちゃんと薄れている。わたしのことは「お世話してくれる人(母)の娘」という認識らしい。デイサービスでやった塗り絵にいた女の子が、わたしに似ていたから渡したいと聞いた。まだ見てないけど、きっと似ていないんだろうな。そんなことが簡単に想像できて悲しくなる。敬老の日に帰ると伝えたが、祖父はそれも理解できない。

祖父だけじゃない、父も母も年齢を重ねて老いていく。何かを残さなきゃいけないと思う。

それが仕事の成果なのか、結婚なのか、子どもをもつことなのかちっとも分からない。実家を出て解放されたと思っていたがそれは間違いで、むしろ家族のつながりを強固に感じさせられている。いや、つながっていなくちゃと思っているのは自分なのかもしれない。特に母にはコントロールされていると思っていたが、それ以上につながっていなければと怖がっているのは紛れもなくわたしだ。そのくせ、母と会った日の夜はどっと疲れるのだからやるせない。なんかもう、がんじがらめだ。

 

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1日のはじまり、週のはじまり、月のはじまり、年のはじまり。そのときが来る度に「報われたい」と思っている。いつかの苦しみも悲しみも、我慢も憎悪も、オールオッケーになることを願っている。救いたいし、救われたい。今ある毎日を信じれば、いつかは。

 

26歳と半年、まだそのときがきた感覚はない。

疲れた夜にはチャイナが合う

緊急事態宣言が出ている間は、と始められたリモートワークがすっかり定着したころ。毎月訪れる仕事のピークを迎えると、朝から飲まず食わずで空がすっかり暗くなっていた。出社していれば息抜きに誰かと話したり、コンビニに行ったりしたんだろうが。在宅だと、心も体も荒んでいることになかなか気づけない。

夕食をつくるのもつくってもらうのも気が引ける、でも外食をしてもいいんだろうか、とウジウジ恋人に告げる。してもよいか、よくないのか、そんなの自分で決めたらいいのにそんなこともできない自分が情けない。そんなしょぼくれたわたしの手を引いてくれるのは、いつだって恋人だ。

 

数ヶ月前にオープンした駅前の中華料理店。正直店舗の外観はかなりチープで、外からでも大きな中国語が飛び交っているのが聞こえ、味も接客も期待していなかった。でも、いつも満席だったことに興味をひかれ、一度入ってみたらそれがまあ美味しい。それでいて安く、量が多い。学生は丼に大盛りのご飯をかき込み、サラリーマンたちはジョッキをかたむけ、家族連れはたくさんのおかずをつつきあう風景が混在しているのが、とにかく良い。

いつもいるおばちゃんはカタコトの日本語ながら丁寧に接客をしてくれ、お会計が終わったときは必ず目を合わせて「ありがとうございました」と言う。マスク越しからでも分かるほどの笑顔が、ふっくらした頬をよりふっくらさせるのが好きだ。このお店が混んでいる理由は料理だけじゃない気がする。

今日は、黒酢酢豚定食。もうもうと湯気をあげたそれは、大きな豚がゴロゴロと入っており、野菜は飾りばかりに少々。向かいで恋人は冷やし坦々麺と油淋鶏と餃子を食べる。冷静に考えれば、食べすぎだと思う。それでも、わたしはよく食べる人が大好きだ。黙々と箸を口に運ぶ姿が一瞬父に重なったのは、気のせいじゃないと思う。

 

ほんとうに助けられてばかりだ。中華料理にも、おばさんのあの笑顔にも、目の前の愛しい人にも。

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はじまりも終わりもない手紙

以前付き合っていた彼のお母さんが亡くなったことを知った。数年ぶりにきたLINEは「久しぶり。何してる?」。あーはいはいこの手のやつね、と通知欄だけ見て、トーク画面も開かずに削除しようとした瞬間、続け様に送られてきた訃報に手が止まった。

何度か会ったことがあった。女手ひとつで彼を育てた、快活でよく笑って、周りを巻き込む力のある人。でもほんとうは心配性で繊細さを隠していて、彼の近況をこっそりわたしに聞いてきたような人。わたしから別れを告げたのに「ごめんなさいね」と手を握って謝ってきた人。 

癌だったという。最後に病室で撮られた写真は、わたしが記憶しているよりずっと細い体で、あらゆるところから管が伸びていた。看護師だった彼女は、こうなる前から自分の病気がどんなものか、どれだけ進行しているか分かっていただろう。それでも気丈に振る舞っていたことが容易く想像できて、いっそう悲しくなる。

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新しい生活を送っている君に連絡するつもりは正直なかった、と彼は言った。いわゆる円満な別れ方をしなかったわたしたちにとっては、その言葉がしっくりくる。それでも彼がわたしに連絡を寄越したのは、ひとつの手紙があったからだ。

友人が多くいた彼のお母さんは、亡くなる前にそのひとりひとりに手紙を書いていた。あとで貰って場所をとらないように、と一筆箋にしたためたという気遣いはあんまりにも彼女らしい。何十枚も書かれたそれらを、彼はできる限り手渡しで、遠方にいる人には郵送しているらしい。そのマメさは、紛いもなくお母さんの面影を感じさせる。手紙の宛先は、学生時代から付き合いのある数十年来の友人や勤務先の同僚にはじまり、スナックで仲良くなったLINEのIDしか知らない人まで様々。悲しみに暮れるのと同じくらい、それらを確認するのは途方もなかったという。

そこに、わたしの名前もあった。

彼と付き合った期間は1年に満たなかったし、 その中でお母さんに会ったのは限られたときだった。もう忘れられていたって当然。それでも、彼女の人生の中にわたしはきちんと存在していた。名前はその当時の愛称にわざと変えられていて、目の奥がツンとする。

弱々しい筆跡だった。インクの濃さなどは関係なく、明らかに震えてかすれた字。もうこの数ヶ月はペンを握ることさえままならなかったようで、そのあとに言葉はなかった。わたしの名前だけが書かれた一筆箋は何行も場所を持て余していたけれど、わたしはこんなに尊い手紙に出会ったことはなかった。隅にアネモネのイラストがプリントされていた。わたしが一番好きな花だということを知っていたのだろうか。

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この話をされたときは、あまりに唐突なことでうまく噛み砕けませんでした。むしろ、意図的に目を逸らしていた気さえします。数日経ったいま、ようやく色々な感情が追いついてきて、ときに胸を締め付けられるようになりました。自分の両親を失ったか如く、感情を揺さぶられました。ただ、彼のお母さんがわたしに何か言葉を遺そうとしてくれた。そのことからは絶対に目を背けまいと思い、こうやってここに自分の気持ちを書くことにしました。

命が限りあるものだなんて、当たり前すぎて忘れてしまうほど当たり前なこと。それにふっと立ち返らせれて、自分が後悔ないように生きているのか、考えなければと思いました。誰かを失ってそんなふうに思うなんて、なんだか都合のいい話のような気もしますが、きっと彼のお母さんなら許してくれるんじゃないかなって。最後まで勝手で、ごめんなさい。でも、そういう機会を、あの一筆箋の空白が与えてくれたんだと思うんです。

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手紙を締めくくらないでいてくれて、ありがとうございました。

きちんと気持ちは受け取りました。続きはまた、どこかで。

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何度でも自分は自分をはじめられる

今の会社に転職してきて、ちょうど2年が経った。前職は1年半足らずで退職したので、ゆうに超えたことになる。お祝いに、と恋人が買ってくれた不二家のケーキを口に運びながら、「よくここまできたものだ」としみじみ思う。

いま月刊誌の編集や進行管理をしているわけだけど、それはもう1ヶ月1ヶ月がとても早く感じられる。下版まで終わり、ふう、と一息ついたぐらいで次が見える。来週になったら、もう3月号の準備をはじめなければ。

そんなタイミングで、突然課長に呼び出された。わたしの務める会社は役職によってランクみたいなものが定められているのだけど、ひとつ上のランクに推薦したいといわれた(ランクをあげるためには本人の意思と課長の推薦が必要)。

驚いた。わたしより長く勤めている人でさえなかなか上げてもらえていないのを、目の前にしていたから。考えてもみなかったことだったが、ちょうど2年を迎えた日だったので、認められたような気がして心がじんわりした。給与が少々あがるぶん、働き方も変わる。さあ、どうしようか。

 

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仕事だけではなく生活も、3月で実家を出て2年になる。逃げるように飛び出し、まるでおままごとのように始まった暮らしも、気づけばちゃんと体をなしていた。なんとなく決めた街は過ごしやすく、すっかりお気に入りになった。狭いけれど日当たりが抜群にいい部屋で、何度うたた寝したことだろう。

週末には新しい家へ引っ越す。ずっと住みたいと思っていたメゾネット!使いづらいところもあるが、それ以上に雰囲気に惚れてしまい、即決してしまった。またイチから家の中を組み立てていくのは大変なことだけれど、それ以上に楽しみが勝る。思っていた以上にテキパキと手続きを進める恋人を見られたし、インテリアを見ながらああだこうだ言う時間も愛おしく、2年に1回くらい悪くないと思った。いつか誰かを呼べたらいいな。あなたは来てくれる?

 

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3年前のわたしは、こんな毎日を想像できただろうか。会社に行けば上司の怒声に疲弊し、昼休みは心療内科にかかり、終電近くまでパソコンと向き合い、家に帰れば母親と折り合いが合わず、ひどく疲れているはずなのに深夜3時ごろまで眠れなかった日々よ。

インターネットに根を張ることが生きる糧だったし、そのおかげで得たものもあれば、失ったものもある。まだ続いている縁には、感謝するばかりです(わたしの名前が昔は「みなみ」だったの覚えている人ってまだいるのかな〜)。

仕事を変えて、家も変える。23歳のわたしにはしては大きな決断をしたあのときから、もう2年。波はありながらも今日までやってきたし、あのときよりはずっといいと胸を張って言える。悲しいけれど、苦しかった日々が今を成り立たせてくれていると思う。

穏やかな毎日は尊い。当たり前すぎて退屈に感じたり、見失ってしまいそうなこともあるけれど、崩れるのは一瞬だってことを忘れちゃいけない。

 

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わたしは打たれ弱い。それほどの実力もないのにすぐに落ち込む。起き上がれない朝もあるし、理由もなく涙が止まらない夜もある。考えても仕方がないことを延々と考えて、気づけば数時間、数日経っていることも。悲しみや苦しみをなかなか忘れられず、というか忘れようとせず、タチ悪く過去から引っ張りだしてきて感情に浸ることすらある。

それでもどうにか歩みを止めずにいられるのは、わたしは再びはじめられることを知っているからだ。やり方が正しくなくて不格好でも、スピードが遅くて遠回りでも、もう1回。

わたしは何度でもわたしをはじめられる。その経験と自負とこんなときだけ威勢のいい根拠のない自信が、引っ張ってくれる。あんなときも、こんなときも、わたしはボロボロになりながらも立ち上がっていたじゃないか。つらい思いを抱えながらも、今こうしているじゃないか、と。

残念ながら過去を変えることはできないし、未来を愛と希望で溢れさせることもできない。自分がこれまで築いてきた性格も、他人の好き嫌いをコントロールすることもできない。

それでもこれからの環境は変えられるし、選択も自分の意思次第。世界は思っている以上に広いし、目の前だけがすべてじゃない。何かにとらわれる必要なんてこれっぽっちもない。

 

これは自己啓発なんて大それたものじゃなくて、合言葉みたいなもの。お守りみたいにぶら下げておいて、不安なときに握りしめよう。

大丈夫、何度でも自分は自分をはじめられるから。

幸せになるために、「これしかない」と胸を張れる人生のために生きようね。

昨日より幸せな今日へ

なにも考えたくないな、と思ってゴーヤチャンプルーをつくりだす午後11時。そのくせ、切ったゴーヤをまな板からバラバラ落とすし、フライパンはうまく振れない。なんのために、誰のために、もはやどうしてつくったかも分からない。ゴーヤチャンプルーもどきが皿の上で湯気を立てているのを眺めたとき、もう0時をこえていた。タッパーに入れ替えるのも面倒くさく、そのままラップをかけて冷蔵庫にしまったのが昨日の話。

うだるような暑さが続いてますが、みなさんどうですか。わたしはといえば、うだっています。3月生まれに、夏を好きになれ、なんて無理な話なんですよ。

転職して1年半が経って、実家を出てからももうすぐ1年半。仕事も暮らしも、色々考えなくてはいけない局面に立たされています。

 

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明るい空に浮かぶ花火も、悪くないけれど。

わたしは「いつかの自分より幸せ」じゃなくて「一番とびきり幸せ」になるため、毎日を生きなくちゃなと思うんです。正確には、「前の日よりちょっとずつ幸せ」でありたい。

何か嫌なことがあるたびに「でもあのときよりはマシだよ」って、誤魔化すのは簡単だけれどのちのちボロが出る。ボロというか、「なにやっているんだろう」みたいな、虚無感にワッと襲われる。

上を見てもキリはないし、高望みはしない。かといって下を見てもキリはないし、わざわざ落ちぶれにいくことはない。自分を保つのって、ほんとうに難しいと思う。わたしは毎日を意味を持たせすぎているのかな、もっとなにも考えずに過ごせばいいのかな。フッと泣きたくなるのは、こんなことに思慮を巡らせているときが多い。

「このままじゃダメだ」という気持ちと、変化を恐れる体のバランスがうまくとれない。今までだって、変わるために何度だって決断して、はじめてきたじゃないか。なんだってできることは、いつでも自分自信で証明してきたはず、なのに。

 

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地が暗ければ暗いほど、光は明るく見える。

愛って、自信に直結すると思ってるんです。自分で自分を愛することも、他者を愛することも他者から愛されることも。愛って目に見える形にはならないけれど、行動や言葉や眼差しや環境や、色んなところに現れて。だから、とんでもない愛を目の当たりするたびに、愕然とする。だって、そこにはわたしが知らない確固たる自信が基盤としてあるんだから。

自信のある人が愛されるのか、愛される人が自信をつけるのか。愛されるために自信をつけるのか、自信をつけるために愛するのか。ねえ?

 

8月に入ってようやく1週間。

まだまだ夏は長いけれど、どうかみんなご安全にね。

それでも愛されたいよ

「愛されたいならば愛しなさい」みたいな言葉を見るたびに、「いや分かってるよ分かってる分かってるけどさあ…」と心の中で繰り返す人生。

他人のあれやこれやを受け止め噛み砕き包み込む器すらないのに、誰かと幸せになろうなんておこがましいのだろう。自分のことすら賄えない自分が情けなくてかわいそうで、惨めだ。と、同時に寝たら忘れてしまうくらいの浅い絶望感に浸る。

一瞬の喜びや楽しみを紡ぎあわせ隙間をつくらず、奥底に眠る問題を見ないフリを続ける。それではよくないと分かっている。でも、こうするより手段を知らない。覚悟も根性もない。誰かに嫌われたっていい、私は私だ、と吠えるほどの情熱も生命力もない。そうやって逃げてきた。ツケはいつも心に背負っている。

定職に就いているし、今のところ雨風をしのげる家もある。わずかながら蓄えもあるし、幸い両親も健在で頼りどころはある。それでも、わたしは毎日その日暮らしをしている感覚がある。日常は些細なことで音をたてずに崩れることを知っているし、いつだってそれと隣り合わせだからだ。

 

愛なんて、形はないじゃないですか。結局のところ、相手が感じることで成立するもの。どんなに自分が愛だと思っていても、相手には恐怖であったり畏怖であったりマヤカシにすぎなかったりで、ギブギブギブギブギブしててもテイクされないことなんてザラで。あ〜全然伝わってねえ〜、ってこと、めっちゃありません?

 

支離滅裂ですね。これでも一応編集してるのウケませんか?自分のこととなると、しかもダウナーだと、起承転結もあったもんじゃないですよ。いつか丁寧にnote書くためにも、ちゃんと精神が安定させたいです。

 

つまりはね、わたしは君に愛されたい。このブログを読んでくれている、わたしのツイッターをフォローしていてくれるすべての人に、なんならご両親にまで好かれたい。他人に嫌われることに敏感で怯えているくせに、それでも愛されたいよ、やっぱりさ。人間くさいでしょう。

 

愛について疑う余地がないほどに愛し愛される人間になるには、3回死んでも足りなさそうです。なむ

 

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