甘やかしてナンボ
あるときを境にひどく気分が刺々しく、その後どっと落ち込む日が、月に一度はやってくるようにやりました。自分自身、こういう日がくると「おおきたぞ」と身構えると同時に、ときに他人を巻き込んでしまうことに対してひどく罪悪感を覚えます。いつかお守りみたいに持っていた元気になる薬を、ほんの少し恋しく思うほど、ダウナーに陥ります。
25歳にもなって、自分で自分のコントロールができなくて情けない。それはそうなんだけれど、どうしようもなく。もうこうなってしまったことは仕方ないので、そういうときは「この自分を元の自分にどうやって取り戻そう?」というところにフォーカスするようにしています。
それは、本当になんでもよくて。人によっては知らない電車で見たことのない景色を探しに行くことでも、砂糖のたっぷりついたドーナツに甘いいちごみるくをあわせることでも、特定の誰かと会うことでも。そういう、自分のHPを回復させる方法を知っている人は、比較的タフだなあと思います。
私の場合と言えば、とにかく何もしないこと。溜まった洗濯物や食器類から目を背け、布団にくるまること。朝からポテトチップスをつまんで、油にまみれた指を舐めてすますこと。YouTubeとTwitterを何周もして、部屋が暗くなるまで時計を見ないこと。最後に、お湯をなみなみはった浴槽にじゃぶんと浸かること。入浴剤がじんわり溶けていく様子を眺めるのは、嫌いじゃない。
こうやって自分をほぐして、やっと、やっと、楽になる。「あれをしなきゃこれをしなきゃ」「こうでいないとああしてあげないと」みたいな、実在しない観念みたいな、憑き物みたいなものが、ゆっくりおちていくのを感じます。
わたしはずっと本やサイトなど、つまりはテキストに答えを求めていました。こんなときどうしたらいいのか、どうあるのが正解なのか。有名な先生やときには掲示板、わたしのことを知らない誰かに求めていました。こんな自分を認めてほしかったし赦してほしかったし肯定してほしかった。今もその気持ちがないと言ったら嘘になるけれど、そうやって紙や画面の先にばかり頼る回数は、ずっと減ったと思います。救いの一助にはなるけれど、本質的に救ってはくれない。自分を救えるのは、紛れもなく自分だから。
それでも時折、これまで起こったことが一気にフラッシュバックしてきて、この先もこんな思いをずっと抱えながら生きなきゃいけないのかと思って、突然涙が止まらなくなる日もあります。もっと辛い思いをしている人がいるのは、わかっている。わかっているからこそ苦しくてどうしようもなくなることを、どうやって伝えたらいいんだろう。
バブが効かない夜の越え方を教えてほしい、
尊大な自己愛の行き先は?
ジンジャーハイボール1杯で酔えた夜。
なんとなく、なんとなくだけれど、わたしはこの人とずっと一緒にいられるような気がしたのだ。わたしがこの人を好きだとか嫌いだとかはもうどうでもよくて、この人がわたしを受け入れてくれているという事実ひとつで、わたしはやっていける。それは、勘違いだろうか。
グラグラする頭をもたれかけさせれば、まるで最初からこの位置にあるべきだったもののように、すぽりとおさまる。ものの数分で、意識は遠く遠くへ飛んでいく。もう、足を絡ませたり、誰かの目を盗んで唇をかすめたり、そういう類のものはない。そこに流れる空気は、たとえるならば、「安寧」だ。
◆
わたしはいつもきちんとしたスタートに立たず、おかげでゴールにも辿り着けない。いつもつらくなれば、非常口に駆け込んで泣いている。そこから出たら、また同じところへ戻らなくてはいけないと分かっているのに、だ。
そうして、こうやってポエムじみたブログを書くことでしか消化できない。言葉にして、誰かに見てもらわないと、どうしようもできない。大量のアルコールも、好きだったはずの音楽も、家族からのメッセージも、空腹や眠気や性欲すらも、崩れ切った自尊心の前ではいつだって無力だ。
ね、こんなわたしだって、愛したいし愛されたいよ。
分別がつかないくらいがちょうどよい
ほんの少し、と言っても高校生くらいまでは、「付き合うまでに1年でしょ〜、それから3年くらい付き合って〜、結婚して〜」なんて平気で思っていた。というより、それが当たり前で、わたしもその当たり前に当たり前に乗っかっていくもんだと思っていた。
25歳目前にして、どうだ。
付き合うまでに1年なんていう長い時間をかけてきたことはないし、3年間続いた恋人もいない。無論、結婚もしていないし予定もない。友人らはといえば、会ったその日に諸々済ませて1週間後にはお付き合いを始めたり、4年間付き合った恋人と別れたかと思えば新たに出会った恋人と1年足らずで結婚、ひいては新たな命を胸に抱いている。
想像していた当たり前はそもそも当たり前なんかじゃなくて、この1〜2年でぐるりと様相を変えた。変わったのは彼ら彼女らではなく、わたしがただ変わらないだけなのかもしれない。そんなことを思いながら、インスタグラムやフェイスブックで他人の近況を知る。こんなふうにくすぶっていられるのも、最早ツイッターだけになった。しかも、こちらのアカウントだけ。
結婚を、出産を、急いでるわけではない。1ミリも焦っていないかと言われたら、それはまた別だけれど!ただ、変わらない毎日と自分に、ほんの少しの違和感と退屈を覚えているだけだ。それはそれで居心地がよいけれど、いやでも目や耳に入ってくる周囲の変化に動じないほど、強くはできていないのだ。
◆
新しいことを始めたら、何か気持ちに変化が出るだろうか。大学生のときにハマっていた、ダーツやボルダリングを再開させようか。ジムとか料理教室とか、どこかに通う習慣をつけようか。でもなあ…。今日もこんな表情で同じように机に肘をついて、そんな日々を考えている。もうすぐ家に着く。
今日は会社に行けなかった
今日は会社に行けなかった。
とはいえ、きちんと上司に連絡をして、有給休暇を利用して、休んだのでなんら問題はない。なおかつ、閑散期でやることはないくらいなのでちょうどよかった、と、罪悪感から逃れるには十分なほど理由はある。自分に言い聞かせて、午前中から夕飯の買い物に向かう。
かぼちゃに玉ねぎ、えのきにもやし。にんにくの芽は2束にたまごはLサイズ。さつまいもはお気に入りのシルクスイートを。
家に戻って、こんもり膨れた買い物袋もそのままに、商店街のお惣菜屋さんで買った焼き鳥をつまむ。きっと温めれば、きっと備え付けのタレをかければ、より美味しくなるであろうそれらを、横着してそのまま食す。これが、いちばん贅沢だ。お気に入りのレバーの身は今日もふんわり仕上がっていた。ペットボトルのお茶を、グラスに注ぐことなくそのまま口に運ぶ。こうやって飲むのが一番美味しいぞ、と思うのは、丁寧な生活ができない自分への慰めな気もする。
お腹をほどよく満たし、敷いたままの布団に再び横になると、カーテンの隙間からこれでもかというくらいの青空が広がっている。外はさっきよりずっと気持いいんだろうなあ、と思いながら顔までブランケットを引き上げる。
やることはあるし、やる気もあったはずなのに、もうすっかりできなくなってしまった。
それからは、ツイッターとインスタグラムをぼうっと見て、明日会社で小さいけれどプレゼンがあることを思い出して憂鬱になって、予定もないのに温泉宿を探す。それだけで時間はあっという間に過ぎていく。こういうのを生産性がないというのだろうか、なんて思いながら、伊豆稲取の宿をブックマークする。
「行かない」という選択肢をとることで、自分の精神が安寧に保たれるなら、それでいいじゃないか!と思いたいわたしと、思えないわたし。
「行かなくちゃいけない」と思っているから「行けなかった」と思うのであって、「行かなくてもいい」と思えたら、「行かなかった」って言えるのにね。
以前通っていた心療内科の先生がそう言っていたのをふと思い出す。
前職でなんやかんやあったわたしのこの厄介な身体と心のせいで、今日みたいに何もできない日がある。それを「仕方ない」と思えないことすら、仕方ないと思ってどうにかしなくちゃいけない。
社会人になって3年目、やっと軌道修正できたと思ったけどやっぱりそんなことはなくて、なんの壁もないのに自ら壁をつくってはぶち当たるような日々。キャリアウーマンを夢見ていたいつかのわたしに、謝りに行かなくちゃな。
今日は会社に行けなかった。
明日は、きっと、大丈夫。
2018.08.18
青と、黄と、緑と、オレンジと、を混ぜ合わせたような不思議な色をした空を車窓から眺めながら、帰路につく。田園風景が少しずつ離れて、住宅街やビルが増えていく。
数年ぶりに訪れた地元の銀行は梅雨みたいに湿っぽく、じとっとしていた。一線を退いたであろうおじさまが「研修中」の腕章をつけて受け付けをしている姿は、最後までしっくりこなかった。ちなみに望んでいた手続きはうまくいかず、口座自体の解約を決めるのであった。
世間がお盆休みで○連休だと浮かれているとき、わたしは毎月やってくる仕事の佳境に入っていた。先々月、先月と細かいミスが続いていたので、対策を打って気を張っていた。
蓋を開けてみれば、印刷所から2件の問い合わせを受けて無事ゲームオーバー。「もうお前には編集向いてないんだよ」って言われたら、こんなにいちいちショックを受けなくていいのかなあ。また、あのスプレッドシートに原因と対策を記入しなくちゃいけない。ほんの少し、気持ちがどろりとする。
うわべばかりの家族、わたしに優しくて甘かった恋人は他人にも優しくて甘く、友人らはインスタグラムで結婚報告。ストレスで狂ったように食物を摂取すれば、身体は素直に肥え、若さという武器を失った肌は悲鳴をあげる。
人生はそうそう、うまくいかない。たった24年しか生きていないのに、そうやって悟ってしまうなんてまあつまらないなと思う。でも、そうしてしまったのは紛れもなく自分だ。自分のわずかばかりの挫折経験と脆い精神が、そうさせている。他人には厳しいくせに自分には甘い自己愛の強さに、我ながら頭がクラクラする。
明日もわたしはわたしでいられるだろうか。
生きている、ではなく、生かされている
1ヶ月ほど前に受けた健康診断の結果は、ほぼオールAだった。大嫌いな採血、初体験の何とも言えぬ不快感を帯びたバリウムを耐えた甲斐があった。
このでっぷりとお腹についた贅肉が許されるなんて!とほくそ笑みながら、上限をややオーバーしたコレステロール値からは目を背けた。
今回の健康診断で、初めて乳がん検査を受けた。触診と超音波検査は思っていた以上にアッサリと終わって、「ほうこんなものか」くらい。
結果は、Bだった。検査結果に記載された"のう胞"の文字がどうも見慣れず、なんとも言えない不安に駆られ、すぐにその文字の意味を検索していた。
"なんとも言えない不安"の正体が、母も数年前に乳がん検査で引っかかっていたことに違いなかった。今も母は定期的に検診に通っている。
「へんに不安にさせたくなかったから」と、その事実を暫く隠されていたことを知ったとき、わたしは今よりずっと子どもで、それが何を意味するかなんて全然理解していなかった。
母に検査結果のことを伝えると、いつもスタンプで飾られた文面が急に静かになり、訥々と「一緒に検診に行こう」という旨の言葉が綴られた。
去年の夏、祖父が胃がんで他界した。病名を告げられてから、わずか3ヶ月で亡くなった。身内でさえ目を背けたくなるほど、苦しんで息を引き取った。避けられなかった事実が、母とわたしを過敏にしているのは明らかだった。
わたしは、来年の3月に25歳になる。
両親は容姿こそ綺麗に見繕っているが、目尻に刻まれた皺や昔よりずっと遅くなった歩み、実家のダイニングテーブルに雑然と置かれた処方箋が、確実にふたりの老いを映し出している。
母に冗談めいて、「わたしが死んだらどうする?」と聞いたことがある。母は「後を追うわ」と即答した。確証はないけれど、きっと、母は本当そうするんだろうなと思う。
だって、わたしも「母が死んだらどうする?」と問われたら、同じ答えを返しちゃうだろうから。
嫌になるくらい、今日も明日も明後日もわたしと母は血の繋がった親子で、ふたりで生きて生かされているのだ。
一生忘れないでいるから
なんで、自分がされた嫌なことを許さなくちゃいけないのだろう。ずっと覚えていたらいけないのだろう。思い出したら「今更」「また」「蒸し返す」と、言われなくちゃいけないのだろう。
傷つける側の人間は、いつだって軽薄だ。その瞬間のことしか覚えていないし、その瞬間のことしか詫びない。「あの時は悪かった」と。
傷つけられた側の人間は、心の中でその瞬間が続く。色、音、香り、言葉、場所、温度。ほんの些細なきっかけで瞬間はいつだって蘇る。生々しく、ついさっきまで命を宿していたのかと思うほどの、瑞々しさで。
ある人にとっては点の出来事でも、ある人にとっては線になり得る。そういう経験がある人とない人とでは、言動がまったく違うものだと思っている。
「あんなこともあったね」って、てめえが笑い話にすんじゃねえぞ。
あったことをなかったことにしたり、見えるけれど取りづらい汚れを見ない振りをしたり、わたしは本当にそういう類のものが嫌いです。