生きている、ではなく、生かされている

1ヶ月ほど前に受けた健康診断の結果は、ほぼオールAだった。大嫌いな採血、初体験の何とも言えぬ不快感を帯びたバリウムを耐えた甲斐があった。

このでっぷりとお腹についた贅肉が許されるなんて!とほくそ笑みながら、上限をややオーバーしたコレステロール値からは目を背けた。


今回の健康診断で、初めて乳がん検査を受けた。触診と超音波検査は思っていた以上にアッサリと終わって、「ほうこんなものか」くらい。

結果は、Bだった。検査結果に記載された"のう胞"の文字がどうも見慣れず、なんとも言えない不安に駆られ、すぐにその文字の意味を検索していた。


"なんとも言えない不安"の正体が、母も数年前に乳がん検査で引っかかっていたことに違いなかった。今も母は定期的に検診に通っている。

「へんに不安にさせたくなかったから」と、その事実を暫く隠されていたことを知ったとき、わたしは今よりずっと子どもで、それが何を意味するかなんて全然理解していなかった。


母に検査結果のことを伝えると、いつもスタンプで飾られた文面が急に静かになり、訥々と「一緒に検診に行こう」という旨の言葉が綴られた。

去年の夏、祖父が胃がんで他界した。病名を告げられてから、わずか3ヶ月で亡くなった。身内でさえ目を背けたくなるほど、苦しんで息を引き取った。避けられなかった事実が、母とわたしを過敏にしているのは明らかだった。


わたしは、来年の3月に25歳になる。


両親は容姿こそ綺麗に見繕っているが、目尻に刻まれた皺や昔よりずっと遅くなった歩み、実家のダイニングテーブルに雑然と置かれた処方箋が、確実にふたりの老いを映し出している。


母に冗談めいて、「わたしが死んだらどうする?」と聞いたことがある。母は「後を追うわ」と即答した。確証はないけれど、きっと、母は本当そうするんだろうなと思う。

だって、わたしも「母が死んだらどうする?」と問われたら、同じ答えを返しちゃうだろうから。


嫌になるくらい、今日も明日も明後日もわたしと母は血の繋がった親子で、ふたりで生きて生かされているのだ。