それが嫌いなんじゃない、それらを構成する全てが嫌いなんだ

突然のブログ。これは誰かや何かを想起しているわけではなく、ただただ思ったことで、140字じゃ収まりきらないフラストレーションの捌け口です。読みやすさやデザインなどどうでもいい!と思った結果のはてなブログ、お世話になります。

 

突然のブログで突然の告白だけれど、わたしは超頑固。「自分を変える」ということにひどく抵抗があるし、柔軟な人を見るたびに尊敬と疎ましさでいっぱいになる。それは自分の(わずか24年間だけれど)築いてきた思考や感性を信じているからだ。好きとか嫌いとか正しいとか間違っているとかではなく、信じている。これがわたしだ、という確固たる思いがある。ナルシスト万歳。

 

そんなわたし、何かあったときにすぐに「直す」「変わる」という人がどうも信用ならない。それらの発言をする人は非常に前向きで、良かれと思って、もしくはその場をどうにか収束させようとしているのだろうけれど、わたしは不信感を抱いてしまう。

 

元々存在し得なかった概念を存在させること、定着させることが、どれだけ難しいか、彼らはほんとうに分かっていない。習慣化されたものを崩していくということ、これまでなかったものを日常に取り込むということ、それがどれだけ容易いように見えてできないものか。

 

例え話をひとつ。わたしは"フラッシュモブ"が苦手だ。どこが苦手かと言われると難しいが、とにかく苦手だ。無論、フラッシュモブを楽しそうにする人も苦手だ。もっと詳しく述べるのなら、フラッシュモブを良しとするその人のバックグラウンドやフラッシュモブを良しとするその人の友人らにも苦手意識を持ってしまう。もう関わることはないだろう、と。フラッシュモブも、それを楽しむ人も何も悪かない。ただわたしの中に「フラッシュモブを良しとする概念」がそもそも無いのだ。その概念が無いというのに、明日からフラッシュモブを良しとすることも、良しとする人と交わるなんて無理だ。

 

だってほら、あなたの家には「直すよ」「変わるよ」と言ってくれたはずなのに、靴下は裏返しのまま洗濯カゴに放り投げてあったり、ほんの少しだけ中身の残ったペットボトルが冷蔵庫に鎮座しているでしょう?

 

口だけ達者で甘ったれてる人間がこの世で一番嫌いです。