今日は会社に行けなかった

今日は会社に行けなかった。

とはいえ、きちんと上司に連絡をして、有給休暇を利用して、休んだのでなんら問題はない。なおかつ、閑散期でやることはないくらいなのでちょうどよかった、と、罪悪感から逃れるには十分なほど理由はある。自分に言い聞かせて、午前中から夕飯の買い物に向かう。

 

かぼちゃに玉ねぎ、えのきにもやし。にんにくの芽は2束にたまごはLサイズ。さつまいもはお気に入りのシルクスイートを。

家に戻って、こんもり膨れた買い物袋もそのままに、商店街のお惣菜屋さんで買った焼き鳥をつまむ。きっと温めれば、きっと備え付けのタレをかければ、より美味しくなるであろうそれらを、横着してそのまま食す。これが、いちばん贅沢だ。お気に入りのレバーの身は今日もふんわり仕上がっていた。ペットボトルのお茶を、グラスに注ぐことなくそのまま口に運ぶ。こうやって飲むのが一番美味しいぞ、と思うのは、丁寧な生活ができない自分への慰めな気もする。

 

お腹をほどよく満たし、敷いたままの布団に再び横になると、カーテンの隙間からこれでもかというくらいの青空が広がっている。外はさっきよりずっと気持いいんだろうなあ、と思いながら顔までブランケットを引き上げる。

やることはあるし、やる気もあったはずなのに、もうすっかりできなくなってしまった。

それからは、ツイッターとインスタグラムをぼうっと見て、明日会社で小さいけれどプレゼンがあることを思い出して憂鬱になって、予定もないのに温泉宿を探す。それだけで時間はあっという間に過ぎていく。こういうのを生産性がないというのだろうか、なんて思いながら、伊豆稲取の宿をブックマークする。

 

「行かない」という選択肢をとることで、自分の精神が安寧に保たれるなら、それでいいじゃないか!と思いたいわたしと、思えないわたし。

「行かなくちゃいけない」と思っているから「行けなかった」と思うのであって、「行かなくてもいい」と思えたら、「行かなかった」って言えるのにね。

以前通っていた心療内科の先生がそう言っていたのをふと思い出す。

前職でなんやかんやあったわたしのこの厄介な身体と心のせいで、今日みたいに何もできない日がある。それを「仕方ない」と思えないことすら、仕方ないと思ってどうにかしなくちゃいけない。

社会人になって3年目、やっと軌道修正できたと思ったけどやっぱりそんなことはなくて、なんの壁もないのに自ら壁をつくってはぶち当たるような日々。キャリアウーマンを夢見ていたいつかのわたしに、謝りに行かなくちゃな。

 

 

今日は会社に行けなかった。

明日は、きっと、大丈夫。

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