尊大な自己愛の行き先は?
ジンジャーハイボール1杯で酔えた夜。
なんとなく、なんとなくだけれど、わたしはこの人とずっと一緒にいられるような気がしたのだ。わたしがこの人を好きだとか嫌いだとかはもうどうでもよくて、この人がわたしを受け入れてくれているという事実ひとつで、わたしはやっていける。それは、勘違いだろうか。
グラグラする頭をもたれかけさせれば、まるで最初からこの位置にあるべきだったもののように、すぽりとおさまる。ものの数分で、意識は遠く遠くへ飛んでいく。もう、足を絡ませたり、誰かの目を盗んで唇をかすめたり、そういう類のものはない。そこに流れる空気は、たとえるならば、「安寧」だ。
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わたしはいつもきちんとしたスタートに立たず、おかげでゴールにも辿り着けない。いつもつらくなれば、非常口に駆け込んで泣いている。そこから出たら、また同じところへ戻らなくてはいけないと分かっているのに、だ。
そうして、こうやってポエムじみたブログを書くことでしか消化できない。言葉にして、誰かに見てもらわないと、どうしようもできない。大量のアルコールも、好きだったはずの音楽も、家族からのメッセージも、空腹や眠気や性欲すらも、崩れ切った自尊心の前ではいつだって無力だ。
ね、こんなわたしだって、愛したいし愛されたいよ。